“母性未成熟母”? 2006:10:23:09:49:11
“母性未成熟母”・・・・・・何となく語感のよろしくない響きです。
「何よ、どういう意味!?感じ悪い言葉!」
なんてムッとしちゃったり、もしくは、
「やっぱり私は母親失格なのかしら。。もうダメだわ。(/_;)」
と、ただただ落ち込んでしまうかもしれないですね。
ちなみに「母親失格という言葉」でも公言していますが、私自身“不良母”であり、いわゆる“母性未成熟母”に該当するのだと思っています。
今でも、母性を見失っている、と感じてしまう瞬間が度々あるほどです。
そして、現代の女性の多くにおいても、“母性が未成熟な状態”に当てはまるのではないかという見方もあります。
…と書くと、ますます反感買いそうですね^^;
しかし、特にすでにお子さんのいる方、胸に手を当てて振り返ってみてください。
「これまでの間、育児が楽しいと感じたことが殆どない、子どもが可愛くない、イライラしてしょうがない、縛られているように感じる、とにかく自分の時間がめっきり減ってしまって面白くない!」
そんな風に思って落ち込んだ経験はありませんか?
育児を“義務”や“労働”とだけ捉えて携わったら、ただひたすら辛いだけ、それ以外の何ものでもありません(勿論、実質“義務”であり“労働”なのですが)。
育児を楽しみながら毎日を過ごす上では、少なからず『我が子を慈しみ、愛しいと思う気持ち』が不可欠ではないでしょうか。
ここでは「母性を育む」の著者・岡村博行先生に倣い、これを『母性』と定義します。
女性なら、誰もが持っているというイメージがつき物の『母性』。
実際男性にも母性がある、ということが言われているので毛嫌いすることはないと思うのですが、
現実では女性ばかりが、世間一般の持つ「母親は我が子を産んだら、愛しいと思うのが当たり前」という考えにより、自責の念に駆られて苦しんだり周囲から非難を浴びてしまいます。
ご覧の方々の中にも、多かれ少なかれ経験されている方はいらっしゃると思います。
極端なケースとなると、そこから児童虐待や育児放棄、それは避けられてもその後青少年の問題行動へ発展してしまうことも、考えられないことはありません。
前出・『母性を育む』によると、今、とある育児相談室では、普通に恵まれた家庭環境に育ち、恋愛結婚を経て、幸せな結婚生活の中で望まれた赤ちゃんを出産したにも関わらず、可愛いはずの我が子を愛せない、と悩んでいるお母さんからの相談が、年々増加しているそうです。
そんな中、『母性神話』などとして、そもそも“母性”など元々なく、その言葉自体男性社会の中で創られたものであり、女性を苦しめるだけだ…という考えも生まれました。
『母性否定論』を掲げる人たちは、「母親にもっと自由を!母性神話からの開放を!」ということで、中には
「育児よりも、積極的に自分のやりたいことを」
というように、母親としての立場よりも個人としての自分を優先することを勧めたりしている方もいるようです。これは極端な例?なのか分かりませんが…
それで、母親自身のストレスは解決するかもしれません。毎日に活気が戻るかもしれません。
しかし、母子関係はどうなるでしょう?育児は楽しくなるのでしょうか?
というのは、“母性の土台(母子の基礎関係)”が出来上がっていない状態でいる人までもが同じようにした場合、減ってしまった子どもとの時間をどのくらい大切に出来るか、どのくらい埋められるか、ということが考えられないでしょうか。
ますます、どう子どもと接したらよいのか分からずに混乱してしまったり、無関心になってしまったり…ということに繋がりかねないようにも感じます。
…話がそれました^^;
多くの『母性否定論』者の方々は、この『母性』という表現自体に、誤解を招く・差別に値する等の問題がある…という考えが主なようです(先にも書いたように、男性にも備わっていると言われているため)。
ただ、私個人としては、哺乳類の動物に見られる「出産直後に赤ちゃんの体を母親が舐める」「授乳をする」…等というような行為は母親特有のものであり、「差別」と後ろ向きに捉えるよりも「特権」と捉えるのではいけないのかなぁ?という素朴な疑問があったりもするのですが…
では、この辺の細かい話は置いといて、ここで言う“母性未成熟”とはどういうことなのか、どうして現代の女性の多くがそういう状態と考えられるのか、について簡単にお話してみます。
母性は全ての女性が生まれもって備わっているもの、というのではありません。
ただ、全く存在しないのではなく、「学び、育むもの」なんです。少しずつ育っていくんですね。
ただ、世間一般が誤解をしているのは「お産で全ての女性の母性が成熟する」という点でしょうか。
それで母性に溢れた女性になれれば、私だってお産直後から漏れなく「母性に溢れたステキなおかーさん」なはずです(爆)。悲しいかな、そんなことはありませんでした。
昔の女性は、家族内、そして地域でお産・子育てを小さいころから身近に感じ、関わってきました。そこで自然と「子育てとは何たるか」を学び、いざ自分が母親になってもその時までに培ったノウハウや周りの家族、時には地域が支えてきてくれたのです。
そして、家族に見守られながらの自宅出産で、お腹の赤ちゃんと母親がともに痛みを乗り切っての自然分娩で絆を深め、お産の直後から母子の密着した新しい生活を迎えました。勿論、ミルクというものはありませんので、母乳のみで育てられました。
これらの行為が“母性の土台”を作り、母と子で手を取り合いながら乗り切るお産で、いくつもある中の最初の『母性のスイッチ』が入り、授乳による乳首への刺激、オムツ替え・授乳行為など常に赤ちゃんとスキンシップを行うことで、自然ななりゆきで更なる『母性のスイッチ』を入れることが出来、我が子をいとおしく思う心も自然と養われていったわけです。
“抱き癖”などという考え方はありませんでした。
また、この時代でも産後も精神的に未熟だった母親は存在したでしょう。しかし、そういう場合であっても、家族や地域がみんなで支えあって、母性を高める努力をしました。
現代の女性はどうでしょう。
地域社会の崩壊、核家族化、少子化により、自らが妊娠・出産を経験するまでに、赤ちゃんのお世話はおろか、抱いたことすらない人が6割以上、もしくはそれ以上だそうです。
つまり、育児のノウハウを目で・身体で学ぶ事のないまま、子どもを産む人が殆どということになります。
そして、お産は分娩台の上で医療者に全てを任せ、受身の出産。
出産直後は愛しい赤ちゃんと引き離され、更に母子別室制の病院だと、決められた授乳時間に授乳をするのみで、本格的に二人の生活が始まるのは退院後から。
これで果たして、上手く『楽しい育児生活』のスタートはスムーズに始まるのでしょうか……?
そんな出産・入院生活の後に、万が一身近で暖かい育児の援助を受けられない環境、家庭内の不和、扱いにくい気質・成長のウォームアップのゆっくりな赤ちゃん・・・といった最悪な環境が重なったら……?
さて。
私の場合をお話ししますと、前ページの話の続きにもなりますが、中学〜高校の頃に甥と姪の“産後間もない育児”に一時期(あわせて半年くらいでしょうか…)参加し、育児とは何たるかを知った気でいたのですが、お恥ずかしいことに我が子を心から「かわいい!」と思えるようになったのは、なんと産後2ヶ月ほど経ってからでした。
ちなみに、育児を義務・労働としてではなく、楽しめるようになったのは、6ヶ月を過ぎた頃から少しずつ、、でしょうか。
それまでは、機嫌のいい時や寝ているときは「かわいいなー」と思えたけれど、泣き出して止まらなくなったり、なかなか寝てくれなくて夜の寝せつけに3時間以上かかったりすると、途端にイライラしてしまい、どうしようもなかったことを覚えています。
そして、2歳の誕生日を迎えた頃などは、上手く自分の意志を伝えられないこの年齢特有の苛立ちと、私の妊娠が重なり心が不安定になったセガレを、私は理解しようとせず自分の体調ばかりを気にして、ケンカを繰り返す日々でした。
ちょうどその頃に、この「母性未成熟」うんぬんについて知り、これまでを振り返ってみて心底反省しました。意識してかんしゃくを起こすセガレを理解しようと努めました。
これから「兄」になろうとしているこの子をフォローしてやれるのは、自分だと感じたからです。
それからは、何とかその当時よりは不必要に怒鳴る回数は減った……と思います。
というか、今までは「自分が、自分が…」という感覚が無意識に働き、叱るほどのことでもないのに感情的になっていた面がどうにも多かったのではないか、とすら思います。
…かといって、『成熟した母性』を実感する日はまだまだ遠く…今でも時々自分本意になりがちな自分に気付いては、必死に頭を冷やす方法を模索しています_| ̄|○
そんなわけで、私のように母性が未成熟なままで出産をし、育児を始めることになってしまった人でも、意識してスキンシップを増やし、理解しようと努めることで、時間は掛かりますが育むことは可能です。
というか、現代の殆どのご家庭のお母さん方は、こうして日々苦労しつつ、時には可愛いと思えない罪悪感に駆られながらも、それを乗り越え少しずつ愛しい気持ちを育んでらっしゃるのではないでしょうか。
大切なのは、目を背けずに「我が子をかわいいと思えない」自分をしっかり受け止め、出来るだけ早く対策をとることでしょう。
ここで言いたいのは、
「育児が辛いのは周囲の援助や理解が足りないだけ、というだけではなく、そんな中でも自分にも出来ることがある」
ということです。
勿論、時には家族旅行や実家へ帰ることで小休止したり、昔の地域社会に代わる自治体や民間の支援・援助や、友人たちの助けを受けることも大いに必要でしょう。
核家族なら、当然ご主人の理解・協力だって不可欠です。
また、これまでの文(特に『母性否定論』のあたり)を読むと、仕事や趣味を持つ女性は母性を育てる機会がないようにも取れますが、育児休暇を十分取れるならば、その間に母子の信頼関係を深めることも出来ますし、産後すぐに復帰する場合でも、その後の短く貴重なお子さんとの時間(帰宅後から夜寝るまで、とか)を大切に過ごすことで、十分に補えると思います。いや、補えます。
それに、適度なストレス発散も非常に大切ですので、趣味だって度を越さない程度なら楽しんで構わないと思います。
大切なのは、子どもとの時間とそれらの時間との心のスイッチを“切り替える”ことかなぁ、と。
そうなると、今度は
「じゃ、昔のようにお産前に母性の土台を作るきっかけがない今、楽しい育児のスタートを望むのは無理なの?」
「みんな始めは、時間をかけて育児に苦しんで努力をしなければいけないのか??」
という話にもなりますね。そんなことはないと思います。一人でも多く、これから妊娠・出産をする人には、私と同じようにはならずに済んで欲しいです。
最も手軽に、手っ取り早く(笑)母性の成熟を促すためには?
…それは次のページ以降で、ゆっくり、ゆっく〜りお話してみまーす。
(2003.06.12 記)2006.10.23 一部修正・加筆
参考:『母性を育む―ソフロロジー式出産と母乳育児』…日本評論社 岡村博行・著
* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *
更新を続ける中、いくつか頂いた感想を拝読し、私の文章能力もまだまだだわ、と、ちと凹みました(笑)。
よって、この場で少し補足をさせていただきます。特に現在既に育児中の方へ、といったところでしょうか。
『母性』の概念は、人それぞれあると思います。
そして、その単語に敏感に反応してしまい、やっぱりどうしても受け付けないわ、と思う方もいるでしょう。
世間では『母性=子を産んだ女性にあり、こうあるべきものorそもそもないもの』と白黒つけた言い方をしたがりますが、ここではそれとはまた違った考え方を取り入れさせて頂きました。
繰り返しますが、それは、始めは多くの女性は“未熟”なだけであって、妊娠〜出産〜育児を通して学習し、育んでいくもの、と考えます。
妊娠〜出産の時点で母性を高めることができ、産後間もなくから我が子愛しさの気持ちで一杯な人もいれば、いざ家庭での新生活が始まってから、「可愛いはずなのに愛せない」という矛盾した気持ちに苦しみ、模索しながら徐々に学習を繰り返して育んでいく苦労型もいる、その点に違いがあるだけということです。
そして、ここは産前の人向けのコーナーなので、お産とともに母性を高められたら(=育児の好スタートがきれたら)いいよね、というお話の構成になっています。
ですから、過去に『母性』という単語に関わる辛い思いをしたことがあっても、現在トータルで考えて「育児を楽しめている」のであれば、母性は時間をかけてゆっくり育まれたと考えてよいと思います。
育児に悩みはつき物です。悩んで行き詰まった時に「母性がないから」という理由にしてしまっては、いらないことで更に悩むだけ。育児中にイライラすることがあっても、それは母性云々の問題ではなく、様々な要因というものがあるはずです。
そこで自己正当化するのではなく、ありのままの自分と子を受け入れ、ポジティブに切り替えする努力をする…それも母性成熟の第一歩なんだと思います。
あえてお願いをするならば、「母性の自主的育成」を投げ出さないで欲しい、ひとえにそれだけです。
“子どもを可愛いと思えない気持ち”を正当化するだけで問題を放置しないで欲しい。そう思います。
トラックバック
- このエントリーのトラックバックURL:
※「当サイトにおけるトラックバックの考え方」にご理解頂ける方はどうぞ♪
















