正常経過での医療介入 2006:10:23:11:28:48
現在、お産をするポピュラーな場所と言えば、病院・・・つまり“産科”ですね。
「妊娠かな?」
と、思ったら、迷わず殆どの方が産科を訪れると思います。私もそうです。
しかし、昔はだれもが自宅で出産をしていたのに、今は何故病院が当たり前なのだろう?という疑問をもったことはありませんか?
つまり、お産の現場が各自宅から病院へ移り変わった背景ですね。
これは、敗戦後の厳しい生活条件のもとでの出生率…つまり新生児や、産婦の死亡率が大きく関わっています。
そこで、当時アメリカで行われていた“母子分離”による能率よい介護で、赤ちゃんを感染から守ろうというシステムが採用され、高度経済成長期を迎えるとともに、医療機関での施設分娩が急増しました。
それにより、健康管理は向上、妊産婦の死亡率については大幅な改善がなされたそうです。
しかし、現在は生活レベルの向上に伴い、母子ともに病気にもかかりにくく、死ななくもなりました。
今、病院で分娩時に行われる医療介入の殆どは、「女性を痛みから解放する」「お産をスムーズに進める」ことが目的となり、一見妊婦のため…という風にも取れますが、“母子が主体のいいお産”という観点で考えた場合はどうでしょうか。
そもそも、人間はこれまで自然の力で妊娠をし、出産をしてきてここまで種を増やしてきました。
今は、自然のお産は残念ながら“当たり前”ではありません。
果たして医療の力を借りなければ、誰もがお産を出来ないものなのでしょうか??
私は医療についてはド素人です。正直、難しいことはよく分かりません。
ただ、私の故郷のとある県立病院で、陣痛促進剤によると思われる産婦の死亡事故がありました。
遺族の調べによると、不必要な量を使用してしまったために分娩後の子宮から大量出血〜翌日失血死してしまったのでは、との事です。
このお産、正常経過における分娩だったと仮定して、この薬の使用のあるなしで、もしかしたら結果も変わっていたのでは…??という疑問が拭い去れない1件でした。
実際、陣痛促進剤による死亡事故は少なくなく、被害を考える会も発足しているほどです。
また、無痛分娩に使用される麻酔についても、薬そのものの副作用が母親のみならず、赤ちゃんにまで悪影響を及ぼすことが問題となったそうです。
私自身はこの方法で出産をしましたが、幸いそういった悪影響を肌で感じることはありませんでした。
まあ、本来麻酔なしでも成し遂げられることですから、安全で然るべきです。しかし、気付かないところでその影響が出ていました。
それは、私の“心の中”です。
つまり、痛みのない出産で、“お産を乗り切った”充足感を得られなかったことにより、前ページで述べた『母性のスイッチ』が入らなかったのでは、、と思われるのです。
もちろんこれは、私自身のお産に臨む気持ちの問題もありますが、同じ経験をした方も少なくないようです。
無痛分娩のみならず、娩出後に赤ちゃんとゆっくり触れ合うことも出来ず、2日間、たったの2日間を悶々と過ごしました。
この離れていた時間も、私たちにとって本来必要だったのか、今となっては分かりません。
剃毛について、これは私は未経験ですが、目的は会陰切開後の縫合のときに邪魔にならないように…ということのようですが、会陰切開そのものについても、必要性は疑問視されるところです。
会陰切開の目的は、お産をスムーズにするため等々ですが、これにより出来る差はせいぜい5分〜15分なのだとか。
会陰裂傷を防ぐためという目的だという話もありますが、裂傷は仰向け寝の分娩台のための重力・リラックス不足でなるものが多く、つまりその逆・体勢さえ変えればほぼ必要がないことになります。
そして最も疑問視されるのが、この「分娩台」。
私は今までお産をするときは、分娩台にあがるのが当然であり当たり前のこと、と思ってきましたが、何故この仰向け寝の分娩台が使用されているか、その目的をご存知ですか?
それは、実は赤ちゃんのためでも母親のためでもありません。医療者側が“扱いやすい”というだけのためなのだそうです。そのために、私たちのお産の会陰切開率、吸引・鉗子分娩率などといった“更なる医療介入”が必要になってきているのが、現実なんです。
…と、医療介入はこれだけではありませんが、これらは昔から行われてきた、自然の中でのお産ではありえないことばかりです。
正常経過・異常経過を問わずに、画一的に介入が行われる病院も、少なくないでしょう。
…しかし、私たち素人は、基本的に医療者任せになりがちです。医師に「必要に迫られたから」と説明されれば、そう受け止めるほかありません。
この辺の事情については、『分娩台よ、さようなら』のなかで、医療側の裏事情とでも言いましょうか、今の病院が抱えるシステム上などの問題を交えて紹介されています。
ここまでを読むと、病院でのお産は良いものではない、医療介入は悪だ、と誤解をされてしまうかもしれません。しかし、極端にそう決め付けてしまうのも、いかがなものかと思います。
お産への医療の参入で、母子の死亡率が大幅に減少したのは事実です。
「薬を使って欲しくない!」
「帝王切開はイヤ!」
「会陰切開なんてしたくない!」
「分娩台なんて上がりたくない!」
そう100%希望をしたとしても、時としてこれらに頼らなければ、逆に母子ともに危険にさらされることも考えられなくはないからです。
一番優先されるのは、赤ちゃんが無事に生まれ、お母さんも産後の経過が順調なことなのですから。
ただ、ここで私が言いたかったのは、必要のあるなしに関わらず、ホイホイと医療者側に任せっきりでお産を進めるのは、できるだけ避けたほうがよいのでは、ということです。
これでは産婦はすっかり「受身だけ・身を任せたお産」をすることになってしまいます。
医療の介入は、なるべく「最終手段」としてとっておくべきであり、必要な際は、医療者側からきちんと説明を受け、納得した上で受け入れるべきだと思うのです。
お産への医療介入については、私はこのように解釈をすることで間違いないかなと思うのですが。
それは、ミルクにも共通するのですが、
「『健康を維持する生活』と『薬』の関係と同じ」
…と。つまり、皆さん普段から何でもないのに薬を飲んで「病気を予防」…なんてされてる方はいらっしゃらないと思います。主に、食生活や生活習慣などで風邪などから身を守り、万が一ひいてしまったときは、薬局や病院などで適切に薬を処方してもらい、服用しますよね。
お産についてもそれと同じ。それが本来の“在るべき姿”だと思います。
しかし、無痛分娩は医療行為の中でも“サービス精神だけ”によるもののような気も…
無痛分娩は本当に楽です。痛くないからリラックスも出来るし、その点スムーズなお産が出来るというのもあるかもしれません。でも、産んだ、という感動がイマイチないんです…。
勿論、これは経験した者のちょっとした偏見です。無痛分娩だけのせいにしちゃいけませんね^^;
お産に挑む本人の気の持ちようでは、麻酔を使用しても全く違ったスバラシイものにもなるでしょうしねー…。
今思ったんだけど、妊婦側の“無痛分娩を選ぶ際の理由と考え方”…というのが一番大きいのかもしれない。自分本意だけで選ばず(特に理由なんてないけどぉー、アタシー、痛いのヤだしー、楽したいしー、とか)、麻酔を使用する際のリスクなども考慮して、それでも赤ちゃんのためにも、自分のためにも必要…と思うなら、選んでいけないことはないのかもしれませんね。
とにかく、この辺のことについては、お産をする病院側とよく話し合い、担当の先生や助産師さんとコミュニケーションをしっかりとり、信頼関係を築くこと。
そして妊婦自身が、必要以上の医療の介入が施されないように、安産のために自分が出来ることがあるなら取り組むことが何より大事だと思います。
お産の主役は、医療者ではなく、母親とお腹の子どもだということを、どうか忘れないで欲しいと思います。
参考:『分娩台よ、さようなら―あたりまえに産んで、あたりまえに育てたい』…メディカ出版 大野明子 著
(2003.06.12 記) 2006.10.23一部修正・加筆
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